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七日目はボンジョールノと始まる [大きなリンゴの木の下で]

そして七日目。

こちらに来てから夜遅くまで活動=翌日はゆっくり起きて出発というパターンになってきていたが本日は早くから行動に移る。

このフェリーに乗って、

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向かう先に見えるのは、

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仏産だけど米国のアイドル。

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昨年の強烈なハリケーンの被害により上陸不可となっていたが先日の独立記念日から上陸可能となった。

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上陸後後ろ姿を見ながら女神像に上る場所へ行くと前もって予約した特別チケットが無いとダメと言われる。

知らなかった。どおりでフェリーを降りた人たちが誰も来ないわけだ。

子供たちに文句を言われながら島を一周してならば目的のエリス島に行こうではないか、と案内所で訪ねるとこちらは未だハリケーンから復旧していないとの事。残念。

エリス島とはかつて米国にやって来た移民の最初の関門。入国管理島の事である。

仕方が無いのでパンフレットだけもらって退散する。

こちらがそのパンフレット、表

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そして裏、

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女神さんと移民は切り離せない関係らしい。

実際リバティ島とエリス島は眼と鼻の先。ルディ@「ヴァレンチノ」が女神さんに“ボンジョールノ!”と挨拶するのはごく普通の流れだったのだ。

不安と期待の両方を胸に長い船旅をしてきた移民たちがようやく辿り着いたゴールの場で当時世界一背の高い像として建設された女神さんに迎えられる。なかなか粋な演出だと思う。

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フェリー乗り場にあった移民の像。

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溢れ出る思いが伝わって来る。

ここからロナウド@「華やかなりし~」が育った地区ロウアーイーストサイドを目指す。

中華街を抜けて、

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テネメント風な建物が並ぶこちらで、

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ランチタイム。

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昔よく行った店が見付けられず適当に入った店の“貝に埋もれたパスタ”。

兎に角量が多いのは今も昔もこのイタリアンな地区の特徴のようだ。

昔はここで食べてからお隣のお洒落なアート地区に移動するというパターンであった。

今回もその予定でいたのだが二昔前の頭の中の地図だけでは辿り着く事ができず道行く人に聞くと既にその地区に居るとの事。あまりに変わり過ぎて気付かなかった。

途中で見付けた道がルディの乗って来た船の名前であった。

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迷った末に確かにこの地区らしいポップな車を見付けたが、

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完全に新しい場所に来て迷っている形になってしまった。 by地図を持たない旅人

子供たちからブーイングの声が上がったところで昔のコース探訪は諦めて地下鉄で最終買い出しの場へと移動する。

古本屋と玩具屋がメイン。わかり易い。

ひとまず教会へ駆け込み呼吸を整えるところから始める。

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子供たち曰く教会が一番落ち着くらしい。

ちなみに日本だと神社やお寺が落ち着く人たちである。

ここから例のホテルの地下フードコートに向かい思い残す事無きようにと日本人によるケーキを頂く。紙皿にプラスチックのフォークで食べるには勿体ないレベル。

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で、息子は前日のリベンジ。

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この文字は、

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人の集合体であった。人種の坩堝にふさわしい。

夕立ちという名のスコールを迎えたところで再び地下鉄に乗り夕食の場に向かう。

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住所を元にどんなに探しても見付からなくて何度か通り過ぎてしまっていたが元教会だった建物の一部が店となっていた。

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人気の店というだけあって美味しかったがナポリで食べたピザには及ばず。でもその事を思い出すレベルであったのは事実。このサイズでも子供たちは未だ食べられる様子であった。

移民の目線で景色を見たところに始まり昼も夜もイタリアンでまるでルディの足跡を辿るような日であった事よと無理矢理関連付けて自己満足のまま七日目を終わる。


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