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旅は終わり、いつか続いてゆく [書を捨てよ世界に出よう・90年代バックパッカー編]

ザルツブルグのユースは安かった。安かったのでコインシャワーであったりマイシーツが必要であったりとそれなりでもあった。ユースにマイシーツは必要不可欠。なので当然ながら持参していたのだが、この時点になってくると結構いい加減になっていて、駅に預けた大荷物の中に埋もれたまま・・・。そんなわけで結局ダニーにあちこちやられてしまった。

教訓:マイシーツを手放すべからず。

7時前にユースを出る。まだ誰も起きていない。駅で預けてあった荷物を受け取ると、絵葉書を投函し、残った小銭で朝食になるような物を買いミュンヘン行きの列車に乗る。

通勤時間帯のせいか行先のせいかビジネスマンが多い。

窓の外に春の草原とアルプスの山々を見ながらユーレイルの旅最終地となるミュンヘンに到着。

いつものようにその国の通貨に換金するところから始まる。そして荷物を駅に預けるとユースを探しチェックイン。そう、こうして旅をしてきた。そして最終地に辿り着いた。少し寂しい。そんな気持ちを汲んだかのように天候が優れない上に、寒いときた。

とりあえず街の中心地マリエン広場に向う。ドイツと言えばビール。平日の昼間だろうがそんなことは関係ない。きっと水代わりなのだろう。ビール樽腹のおじ様たちが広場周辺のあちこちの店でビール三昧。

自分は飲めないので、つまみ方向で力を入れてみる。道頓堀な気分で食べた。食い倒れる勢いで。特に立ち食い焼き豚が美味であった。

この広場にある市庁舎には世界最大の仕掛け時計がある。皆それを目当てに集まってきた。食い倒れていたのは、時間調整のためだったのだ。だが現実はそんな言い訳も空しくなるほどに風が強くて寒くて時計のショーを楽しむどころではなかった。

そそくさとユースに戻ると、旅仲間と情報交換。シンガポールから来たというバックパッカーは主にドイツを中心に旅していると言っていた。プラハが一番、そしてザルツブルグが二番というのがこの時点での感想らしい。ローマの宿でもプラハは人気だった。古き良きヨーロッパか残っているらしい。行くことができなかったのが残念である。離婚後ふらっと旅に出たけれどそろそろ親元に帰って仕事を探さなきゃとニカッとした笑顔で言っていたのが印象的だった。

ハイチ生まれNY育ちの人とも話をした。彼女はフランスでフランス語の勉強をしているが、ちょっとお休みをとって旅をしていると言っていた。将来はハイチでフランス語を教えるのが夢と教えてくれた。

ミュンヘン生まれアメリカ育ちの女性は11年ぶりに訪ねたがもう自分の居場所は無くなっていたと寂しそうに言った。両親が他界してもうドイツに未練は無いと言っていたが、そう言いながらもじっとドイツ語の新聞を読んでいる彼女を見ていて、きっと時を見て再び故郷を訪ねるに違いないと思った。

ユースでは本当に色々な人と出会う。特に元気な女性に出会う。ユースを転々としていると何度も顔を合わせる人もいる。韓国映画のプロダクションで働いているという人とは行く先々で出会って時々一緒に行動したりもした。無から何かを作り出すということについてウィーンのフランツヨーゼフ1世の銅像の前で熱く語り合ったりもした。日本に帰ってからもしばらく連絡をとっていたが今はどうしているだろうか。と、下世話なヅカ脳が邪魔をする。

様々な国から色々な物を背負って旅をしている女性たちの瞳の力はすごい。生き生きしている。

ユースを後にしてミュンヘンの空港に向かう段になって、ミュンヘンにルートヴィッヒ2世のお墓があることを知った。今更。

まあそんなもんだ。完璧なんて言葉は無いのだよ私の辞書には。残った宿題は次回のいつかということにしておこう。ユーレイルの旅はここで終わり。

この後ミュンヘンからNYに飛び、相手と待ち合わせオンとオフブロードウェイ作品を観て、式を挙げ、新婚旅行を兼ねて国境を越えナイアガラの滝へ、そしてそこから日本へというのが全貌であったのだが、妻業を解約した今となっては笑い話にしかならないのでその部分は軽く飛ばす事にする。

ただ90年代のNYについてはそのうちに書いていこうと思う。と何やら続編を匂わせながら旅のまとめを。

現在はインターネットで世界中が繋がっている感がある。どこに居てもだいたい情報を得ることができるし、TVなどの旅番組を見ていれば行った気になることもできる。オイル代が値上がりする中で旅費も馬鹿にならないし、ミシュランでランク付けされるまでもなく世界中の美味しい料理は日本で食べることができると言っても過言ではないだろう。

不便であること。それこそが旅の醍醐味である。便利な時代にあえて不便な中に自分を置いてみる。バックパックに入っているもの、それが一人の人間が生きていく上で必要となるものなのだ。ただ所有することで欲求が増していくのが人間の性。家を所有すれば家具が必要になる。車を所有すれば保険が必要になる。

世界の様々な国で幸せ度を測っても一番所有している、つまり物質的に恵まれている国が上位にくるとは限らない。上位にくるのが発展途上国であると言ったら驚くだろうか。それぞれの幸せに対する尺度は違うのだろうが、所有しない一番シンプルな状態になったところでようやく人は満足感を見出すような気がする。

だから物質社会を生きている人間は敢えてその状況を作り出すことも時には必要かと思う。

旅の行く先は誰でもなく自分が決める。訪問先、滞在日数、泊まる宿、列車の時刻、観光する所、食べる物。スタート地点とゴール地点だけを決めて大枠の日数を決めて、後は自らの想像力と創造力を駆使して旅をする。情報収集は現地で生身の人間にあたる。親切な人もそうでない人もいるだろう。危険かどうかは本能で判断するしかない。だから少しだけ緊張している状態。それぐらいがちょうど良い。

この旅から帰ってバックパッカーの先輩である母上に感想を聞かれたのでこう答えた。

「またいつか戻る。どこに行くかわからないけど。」

今度はいつになるかわからない。多国籍の人が暮らすモザイクの国で過ごす間に切っ掛けができるかもしれない。もしかしたら子供たちのほうが先になるかもしれない。そう、当然ながら子供たちにも勧めるつもりだ。こんな経験できるならやっておいたほうがいい。

長く書いてきたがこれでこの旅も終り。お付き合い有難う。見に来てくれた人たちに感謝。

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