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音楽の都ですき焼き [書を捨てよ世界に出よう・60年代バックパッカー編]

昨日に引き続き旅の話。さて食い倒れている人が次に選んだのはオーストリア。花より団子な人にはどうなんだろうか、オーストリアってのは。

荷物を持って道を渡ろうと思ったら見知らぬおじ様がひょいと持ち上げた。まさか泥棒?と思ったら道を渡ったところに荷物を置いてそのまま去っていった。バスに乗り、降りるところを尋ねると降りるときに教えてあげると言ってくれた人が先に降りてしまった。でも実はちゃんと他の人に引き継いでおいてくれていた。

「とにかく親切なのよ、オーストリアの人は。」

まあ国民の印象っていうのはそんなちょっとしたことで決まったりするものだ。実際母上は背が小さいから子供のように思われたのだろう。ちっこいアジア人が大きな荷物を持っている姿に同情してくれたのかもしれない。

でも実は怖い思いもした。映画「第三の男」に出てくる大観覧車に乗りたくてプラーター遊園地に行く。よりによって夕暮れ時に。だから結構空いていた、というより人影がない。憧れの大観覧車に乗っていざ、と動き出す瞬間に中年の男が乗ってきた。完全に密室、しかも空中。脱出不可能。男はずっとこちらを見ている。生きた心地がしないまま到着すると男はそのまま去っていった。これぞまさにサスペンス(=不安な心理状態、宙吊りの意。)ある意味「第三の男」的な世界を体感できたようだ。

モーツアルト像のあるブルク公園で突然「日本の方ですか?」と見知らぬ女性に声をかけられる。「もしよろしかったら今晩家ですき焼きをするのでいらっしゃいませんか。」ウィーンでまさかのすき焼き。しかも招待してくれた女性がかなり美人だった。そりゃあもう行くしかないでしょう。

聞くところによるとオペラを勉強している人らしい。「オペラですか。さすがウィーンですね。」と話を聞くふりをしながらすき焼きしか見ていなかった。で、ご親切な方、あなたのお名前は?伊藤京子さん。そうですか、どうもご馳走様でした。

後日帰国してから驚いた。実はすごく有名な人だったのだ。なんと紅白の審査員までやっているではないか!なんてことだ、すき焼きしか覚えていない。(現在は日本演奏連盟理事長などをされているようです。その節は母がお世話になりました。本当にすいません、すき焼きしか覚えていないようで。)

さて、ユースホステルに戻ると父親から手紙が届いていた。旅先から葉書きを出していたので、だいたいの移動先については前もって連絡してあったのだ。明治生まれの父親から初めてもらう手紙は巻紙でしかも候文だった。(「~でそうろう」ってやつね。)一緒に旅に出た人が帰国しているのに自分の娘が帰らないので心配している模様。でも所持金が尽きるまで帰らないと決めていたので旅を続ける事にした。


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