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制約された通過点 [書を捨てよ世界に出よう・60年代バックパッカー編]

ソ連行きの船に揺られて酔っている日本人は他にもいた。ヨーロッパでデザイナーを目指す人、シェフを目指す人など。安い旅費でヨーロッパに渡ろうとする日本人を乗せた船は沢山の夢も乗っけていたようだ。

横浜を出た船は数日後ナホトカの港に着いた。そこからシベリア鉄道に乗りハバロフスクに入る。そしてアエロフロートロシアの飛行機でモスクワまで飛んだ。これが生まれて初めての飛行機体験だったので、興奮のあまり写真を撮った、ら、搭乗員が飛んできてフィルムを速攻没収された。(母のことだ、注意事項を聞いていなかったに違いない。間違いない。)

モスクワでは泊まるホテルも、観光する場所も、買い物する店もすべて指定されていた。ホテルで出る食事も買い物もすべて渡されたチケットでするように決められていたが、指定先のグムデパートには物が無かった。唯一買ったのが琥珀のブローチ。しかも蜘蛛の形。今もあるが結構リアルだ。しかも琥珀の色が蜘蛛の体液が出てきそうな感じでさらにリアル。だいたい母親への土産にスパイダーってどうなんだ。

日本語を話すロシア人ガイドの下に日本人が集められ、制約された中でしか動く事ができない状況だったが、あくまでもソ連は通過点であって、先を急ぐ人たちにしてみれば次に向かう国のことで頭が一杯というのが本音だったらしい。

さて次の目的地は・・・続く。


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