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パリよ、寛容であれ。 [書を捨てよ世界に出よう・90年代バックパッカー編]

さくさくと進めよう。パリである。タカラジェンヌならぬパリジェンヌの都である。

ベルギーから入ったせいかさすがにパリは都会であった。そして人が冷たかった。パリが好きという人はきっとフランス語がペラペラなのだろう。NY時代に第2外国語で選択した程度のフランス語ではとてもたちうちできなかった。かつてアテネフランセで学んだらしい母上からもフランス語が話せないと人間扱いされないとは聞いていたが、結構近いものを感じた。

ここでの滞在は2泊3日。ユースは2か所利用したがどちらも良い印象が無い。ユースに泊っている人たちも一癖も二癖もある。おフランスのパリジャン、パリジェンヌっぽくないといけないかのようだ。うむ、面白い。

 

まず着いた日の夜に凱旋門の螺旋階段を上り、目を回しながら展望台よりシャンゼリゼ通りの夜景を望む。その後シャンゼリゼ通りをただひたすら歩き、コンコルド広場まで辿り着いた。

コンコルド広場と言えばフランス革命時にルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された場所として有名だ。夜だったせいかシャンゼリゼ通りの賑わいとは対照的に静かで何かひんやりとした場所であった。天に向かってそびえ立つオベリスクを見ながらしばし歴史の一ページの中に佇んでみた。

さて2日目。ルーヴルとオルセー美術館巡りを予定していたのだが、ベルサイユ宮殿が翌日は休館日と知り、じゃあ全部やってしまおう!ということになった。忙しい一日の始まりである。ところが、ベルサイユ宮殿近くまで行く予定で乗った列車が違っていたらしく、かなり遠回りすることとなった。先が思いやられる。

ベルサイユ宮殿は観光客でごった返していた。そのせいか感傷に浸る暇もない。鏡の間にしてもそれほどの感動はなく、意外であった。急ぎ足だったせいもあるだろう。それにしても人ごみに圧倒された。結果「ベルサイユのばら」の世界を堪能するつもりがそれしか印象が無いのは残念である。

列車で市内に引き返すとその足でオルセー美術館へ向かった。旧駅舎というだけあって何より建物が面白い。ヨーロッパの駅というのはよく映画の舞台にもなるが、なかなか風情があって様になる。沢山のドラマが生まれるのも納得がいく。それがそのまま美術館として利用され、印象派を中心にした比較的現在の作品が展示されている。ドラマ的な装置の中に沢山のドラマ(美術作品)があるというのがオルセーの魅力だろうか。

さて、ここまででヘトヘトである。足が棒になったとメモにある。が、まだ続く。セーヌ川にかかるポンヌフ橋を渡ると今度はルーヴル美術館に向かった。途中でフランス人に道を聞かれる。こういうことは良くある。どこの国でも町でもまるで道を知っているかのような顔をして足早に歩いているからだろう。

ルーヴルは大きかった、とても3時間で見きれるものではなかった。そして母上が言っていたようにモナ・リザは小さかった。大英博物館やNYのメトロポリタン美術館でも感じた事だが、有名な美術品の数々はその国の歴史そのものを表わしている。植民地やら敗戦国から奪った戦利品などを含む展示品の数々を前に、美術鑑賞ではなく歴史について考えることしばし・・・。権力争いの道具として存在する芸術は悲しい。芸術家の思いとパトロンの思いの相違、その後の美術品の行方などを考えていたら頭が沸騰しそうになった。

2日目はそんなこんなで結構早足で、食事をすることも忘れる勢いで突き進んだ。ユースに帰るとトーマスクックと睨めっこ。次の旅先を決めなくては・・・ちょうどぴったりきたのがスイスだった。明日は夜行便で出発となる。

3日目、夜行便だから一日ある。前日に早足で回ったので今日はゆっくりと過ごそう。まずパリを出て多くの芸術家が育った地、モンマルトルへ。モンマルトルの丘から街を眺め、シテ島に移動。マリーアントワネットが断頭台に送られるまで過ごしたコンシェルジュリを見学し、サントシャペル寺院のステンドグラスに圧倒されながら時計を見る。夜行便までまだまだ時間がある。そこで向かった再びルーヴルへ。今日はゆっくりと過ごそう、そう決めると二日目のルーヴルは宗教画を中心に見ながら閉館間際まで居座った。

そして無事に夜行列車に乗り、旅は続く・・・

と十分にここまで長いのだが、パリの人が冷たいと感じた話には後日談があるので書いておきたい。

パリ滞在中はきっと出会った人と合わなかっただけなのだろう、と自分に言い聞かせながら納得することにしていた。が、後日、フランス人の友人にパリの感想を聞かれたので率直に感想を語ったところ、南仏出身のその友人が面白い実験をした話を聞かせてくれた。

彼曰く、フランス人は第二外国語で英語を取っているはずだから皆英語はできる、それなのに使おうとしない。特にパリあたりだとその傾向が強い。そこで、パリでフランス人の学生仲間数人と“英語で質問をしたら何人が答えるか”という実験をしたらしい。フランス人がフランス人を試すなんて面白いじゃないか。よくやった。母国語を愛する気持ちは理解できるが、先進国の一員としてもう少し寛容であって欲しいと思う。そうフランス人である彼もつぶやいた。


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